玉泉

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国指定史跡 ディアナ号・アスコルド号乗員墓について① 

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 12月9日、ミハイル・ユリエビッチ・ガルージン駐日ロシア大使が来山され玉泉寺境内に眠る、ロシア艦ディアナ号・アスコルド号乗員の墓参をなされました。その後、本堂内で日本・ロシア協会下田支部関係者の方々との交流会が行われました。

 本年3月、国指定史跡に指定されたロシア人墓所について、数回にわたり紹介をしたいと思います

 嘉永7年10月15日(1854年12月4日)ロシア使節プチャーチン提督は、新鋭フリゲート艦ディアナ号に乗じて下田港に入港しました。アメリカに後れをとったが、ここに北の黒船が入港したのである。プチャーチン提督の目的は、日ロ国境確定、和親、通商条約の締結を期し、幕府の指定した下田港に来航しました。

 第1回目の日露会談のもたれた翌日、嘉永7年11月4日(1854年12月23日)安政の東海大地震が発生し、その大津波でディアナ号は大破した。玉泉寺には、その津波の日に亡くなった水兵と、その後ロシアに帰る為の船を建造中に1人の下士官と水兵が亡くなる。更に3年後、再度来日したプチャーチン提督座乗アスコルド号の水兵が、又ここ下田で亡くなったのである。計4人の乗組員の墓所は条約によってここに定められました。

◎アレクセイ・ソボレフ(中央)

 ディアナ号が大津波で大破した際に二門の大砲が倒れて、その下敷きとなり圧死したソボレフ水兵の墓。ディアナ号のマホフ司祭長は、その航海日誌の中で「ソボレフの葬儀は幕府によって与えられた場所(玉泉寺)で型通り執行された。水兵たちが柩を海岸から担いで運んだ。彼らの前にはプチャーチン中将と士官たち、そして、司祭の衣装を身に着けた私と聖歌隊が進み、柩の後から乗組員たちが従った。」と記している。聖歌隊によって、「聖なる神よ!」「永遠の記憶」の2曲が歌われた。

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