玉泉

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「青天を衝け」主人公 渋沢栄一先生と下田 ⑩

下岡蓮杖 記念碑.JPG

 1926年(大正15)年の夏、東京朝日新聞社から「日本写真界の鼻祖、下岡蓮杖翁は下田町の出身であるので翁の記念碑を建立したら如何か?翁の事績はハリス氏と密接な関係があるから建設地を柿崎玉泉寺となすが適当とおもう」との話があった。結局場所は玉泉寺境内にはハリス記念碑が建碑されており、蓮杖翁が下田町出身であるからして城山公園となったのだが、この大正の末期、時期を同じくして二つの記念碑の建設計画が持ち上がっていたのである。

 玉泉寺のハリス記念碑は27(昭和2)年10月1日の除幕式であったが、下岡蓮杖翁記念碑は28(昭和3)年5月13日の除幕とわずか7ヵ月しか違わない。おめでたき慶事が続いたわけである。

 この蓮杖碑は下田町と朝日新聞社によって当初事業費5千円にて建立されたもので、御揮毫を下田町の希望もあり朝日本社から渋沢子爵に依頼されたものである。快く引き受けられ1週間で雄渾なる揮毫を頂いたそうである。竿石の大きさから、揮毫は写真技術を使い拡大され、また上の文字は下から見上げた時に小さく見えるため、それぞれ大きさが均等に見えるように、拡大率を変えて苦心の彫刻が施されている。竿石は仙台産の見事な石で東京で加工し船で下田に運ばれた。台石の方は下田で調達ということになり、方々探したが適当な石が見つからず、最終的に近くの海岸の石が選ばれたそうだ。もやいを取る穴があけられている。長さ14尺、幅5尺、高さ4尺の巨岩である。この大石を人足40人で海から引き上げ、更に蓮杖台まで運び上げたそうである。その当時、大変な話題になったことは想像に難くない。

 普通、石碑の台座は決して注目されることはない。40人で海から担ぎ上げた故事を思い浮かべ、その視点でこの巨大な台石も味わってほしいものだ。特に正面右端に人工のもやいを取る穴があることを注目してほしい。蓮杖翁の建碑の経過については、郷土誌「黒船」(主宰者 森一氏)の28(昭和3)年5月号、10月号、11月、12月号に詳しい。この同人誌「黒船」は森斧水氏により24(大正13)年から約20年間発行された下田市の歴史宝典である。今回「渋沢子爵と下田」について書くにあたり浅学寡聞なる老衲にとり大変頼りとなり勉強になった。

 最後になりますが、渋沢青淵先生の眼に見える形で下田に残された遺跡、遺構があることは下田市民の誇りであり、宝であります。子々孫々まで語り継いでほしいものであります。

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