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「青天を衝け」主人公 渋沢栄一先生と下田 ⑤

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                    米国黒船艦隊将兵の墓所

 地元を固めることの困難さを身に染みて承知していた文機和尚は、このお言葉に窮地に立ってしまったのである。しかしその後、何度となく渋沢事務所(日本橋兜町)を訪ね、子爵にお目通り得て、誠意と信用を認められるまでには、長い時間を要したようだ。その後、名簿にお名前を記していただき、百万の味方を得た喜びと勇気で、更なる意欲を燃やしている中、忘れもしない23(大正12)年9月1日を迎えた。

 関東大震災である。渋沢事務所は兜町(日本橋)にあった。頼りとしていた名簿も事務所と共に灰と化してしまったのである。全てが水泡と帰してしまったのであった。その時の文機和尚の心情は察するに余りある。事業の中止、絶望の奈落に突き落とされたのである。その後、仮事務所にお見舞いに伺い、事業に対する可否をお尋ね申し上げたところ、「誠に感心出来ぬ時であるが、規模を縮小しやり直したらよかろう」とのお言葉に再び事業に着手することを得たのだった。そんな中、25(大正14)年4月、当寺に永眠する黒船艦隊将兵の墓所にエドガー・バンクロフト駐日米国大使が墓参に訪れた。そして、この寺院の復興計画に協力を誓われたのだが、大使は、この年の7月に軽井沢で避暑静養中に急逝なされた。しかしこの大使の一念は渋沢子爵によって、ハリス記念碑の建立となって表れたのである。

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