玉泉

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「青天を衝け」主人公 渋沢栄一先生と下田 ④

 祖父文機和尚が渋沢栄一の第一邸宅を初めて訪れたのは、はっきりしないが1922(大正11)年中であろう。この時子爵は八十路を越え、一方の文機和尚は、弱冠26歳の雛僧であった。この頃の子爵の日常は、訪問客が引きも切らず訪れる毎日であった。周囲が心配するほど、分け隔てなく親身になって話を聞いたそうである。その中の一人が若き文機和尚であった。和尚の残した「玉泉寺今昔物語」によれば、この時の様子が次のように記されている。

 「先ず、第一邸宅の広壮なのに気を呑まれ、いよいよ御人格の高いのに気後れして、最初に腹案していた10分の1もお話し申し上げることが出来なかった。こんな様子を脇から見ている人があったとしたら随分おかしく思ったことであろう。がしかし自分としては真剣であった。この初対面が果たして今後どの程度に好転するかは、勿論予測することは出来なかったが、次のようなお言葉がなお深く耳底に残っている。『兎に角、話の内容、名簿の具合では、余りにも地元の人々が無関心のように思われる。一体地元で及ばぬ所を、吾々貧乏ながらも応援するというのが順序であって、これでは本末を転倒しているようにも考えられる。も少し地元の方から固めて来られるのが至当であろう。だがしかし、ハリスという人は、従来考えていた様な外国人とは大いにその性質を異にし、多分に日本の武士道的気質を持っていた人で、自分としても私淑している。その人の最初の宿舎、即ち領事館が荒廃しているにつけ、その修繕の為にお出かけになったことに対しては、無下にお断りはしませんが、総て物には順序のあること故、前申したとおり地元の方から固めて来られるのが結構だろうと思う。』このお話には自分としてもほとほと困ってしまった。」

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