玉泉

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国指定史跡 ディアナ号・アスコルド号乗員墓について④

岡山大学名誉教授 保田孝一氏 寄稿文後編

 2001年7月、サンクトペテルブルクの特別区クロンシュタット軍港の区長スリコフ氏ら10人の代表団を案内して玉泉寺のロシア人墓地を墓参に訪れた。その足で下田開国博物館相談役で郷土史の権威でもある肥田実氏を訪れ、そこで下田郷土史研究会の尾形征己氏、岡田光夫氏と1858年夏のアスコルド号の下田港入港に関する下田の資料をつき合わせながら、ロシア側の資料を検討した。

 下田の「町会所日記」によると安政5年6月16日(露暦7月14日)、アスコルド号が下田に入港し、18日に病気の乗組員10人を下田の稲田寺に収容してもらい、20日に神奈川に向け出港した。この稲田寺に入った10人の病人の中に、既に他界していたフィリップ・ユーディンがいたと保田は考える。

 同じ日記によると、7月2日(露暦7月29日)ロシア人1人死亡し、棺桶の注文があり、翌3日に玉泉寺の墓地に埋葬した。

 この時代に、アスコルド号の船内で死亡した乗組員を玉泉寺の墓地に埋葬することは簡単なことではなく、幕府の許可をもらうために2週間かかったと考えられる。ちなみに安政2年、戸田村で病死したロシア人ポトチキンを玉泉寺の墓地に埋葬する許可をもらうために50日もかかっている。

 また別の可能性もある。アスコルド号は3週間神奈川に停泊していた。安政5年7月11日日露修好通商条約に調印後、プチャーチン提督は上海に向かった。神奈川のアスコルド号と下田を結んだロシアの小型軍艦ストレロク号がいた。アスコルド号のために下田で石炭を購入し、運んでいる。もしかすると、フィリップ・ユーディンの遺体はアスコルド号の艦内に安置され、7月2日の直前にストレロク号によって下田に搬送された可能性もある。いずれにせよ、氏名不詳のまま玉泉寺に安眠しているのは、フィリップ・ユーディンである...

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