玉泉

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米国黒船 ペリー艦隊乗員墓について③

ジェームス・ハミルトン墓石.JPG

◎ジェームス・ハミルトン

墓碑銘

合衆国海軍軍医間ジェームス・ハミルトンの墓

1854年9月6日「フリガット・サスケハナ」号にて航海中死亡 享年38歳

ペリー艦隊が下田港を去った翌々月(嘉永7年閏7月)サスケハナ号が入港してきた。ハミルトン軍医官の遺体を玉泉寺のアメリカ人墓地に埋葬するためであった。

ペリーに随行した画家として知られているハイネの手記には「我々が今回下田を去るときアメリカ人墓地には3つの墓石が建てられていた。ハミルトン博士も輸送船ケネディから病気の為サスケハナ号に移送され、海上で没しここに葬られた」とあり、ミシシッピー号の艦長書記官であったスポルディングは、「契約したアメリカ人墓地における3人目の埋葬になった。墓の上の尖頭は良い形をしており、墓碑銘の文字はモンゴル系人種の模倣の技で正確に彫られ、また金色に塗られており、笠石は独創的な装飾で、ツボとドングリを一緒にしたもののように見えた。」と記されている。

ジョン・D・ストーム墓石.JPG

◎ジョン・D・ストーム

墓碑銘

合衆国海軍火夫 米国オハイヲ州スコハリス郡生れ、ジョン・D・ストームの墓

1855年2月2日「フリゲート・ポーハタン」号にて死亡 享年27歳 同艦汽関部僚友建之

安政元年12月9日(1855年1月26日)日米和親条約批准の為、H・アダムス・中佐座上のポーハタン豪が下田に入港した。神奈川での日米和親条約締結后、直ちにサラトガ号が条約文を携えて帰国し、上院の承認と大統領の批准を得て日本に引き返してきたのである。そのポーハタン号停泊中に石炭焚きのジョン・D・ストームが死亡した。その死因は不明である。下級水兵の埋葬の為、ポーハタン号上官及び水兵7名と下田奉行所の菅使立会いのささやかな埋葬であった。

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