玉泉

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下田開港170周年に寄せて②

 1853年7月、浦賀に4隻の黒船が現れると、江戸では米国と戦になると、偸安(とうあん)の夢をむさぼっていた旗本、御家人は武具屋に走った。とうの昔、よろい、かぶとは売り払って手元にない。刀、槍、鉄砲、戦装束に至るまで戦支度に狂奔した。また食料品、日用品も諸藩の江戸屋敷が競うように買い占めた。そのため物の値段は跳ね上がり、足許を見た商人は普段の数倍の値上げでぼろもうけをした。江戸の町は緊迫し大騒動となる。そのろうばいぶりは以下の川柳、狂歌でよくわかるであろう。

・太平の眠りを覚ます蒸気船(上喜撰)たった四はいで夜も眠れず。(上喜撰とはお茶の銘柄)

・陣羽織異国から来て洗い張りほどいてみたら浦賀(裏が)大変

・具足より利息の高い世の中にお手当どころかすね当てもなし(具足とは甲冑のこと)

・具足より利息に困る裸武者すね当てよりもお手当がいい(返し歌)

・町中に打ち出て見れば道具屋の鎧兜の高値うれつつ

・よく来たなアメリカさんとそっと言い(武具屋)

 54年3月31日、日米和親条約12ヵ条が横浜で調印、この条約こそ日本が初めて外国と結んだ条約であり、日本開国、日本近代化につながる重要な第一歩であった。条約が調印されると、ペリーは条約証書を一刻も早く大統領へ届けるため、サラトガ号を太平洋横断で本国に向かわせた。下田は即時開港され、黒船艦隊が集結する。

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